「ええっ、前のお店でそんなことがあったんですか?」。
出産を機に休んでいた美容師さんから独立開業したというハガキが届いたので早速髪を切ってもらいに行くと、昔話から驚きの話に至る。前に勤めていた美容室の営業時間内、それもお客様が満員でスタッフも総動員でフロアに出ずっぱりの所を見計らって裏口から休憩室に泥棒が入り、スタッフの荷物を持ち去ってしまったという。「絶対、近隣の人が犯人だと思うのよ。だって、裏口は本当に分かり難い所にあるし、満員だったお店の状況も分かっているってことでしょ」と続ける。そもそも休憩室と店舗はのれん1つで区切られているだけなので、美容室の状況に詳しい人以外にあり得ないと言う。「随分大胆な泥棒ですね」と感想を述べると、美容師さんは神妙な顔をして頷く。

会社員時代に、美容師さんが前に勤めていた美容室の近くで一人暮らしをしていた頃のことに思いを馳せる。とにかく歩き回ることが好きだったので、散歩と称して地図もなく色々な道を歩き回っていたが、美容室から駅と反対方向に5分ほど歩いた所に巨大な団地があった。休日の日中にも関わらずにぎわいがなく静かで、信号や「○○団地前」と書かれた標識が妙に古めかしいのが印象的で、表通りではLEDを使った最新型で綺麗な信号に取り替えられているのに、道が1本変わるだけで随分待遇が違うものだなと思った記憶がある。その地域は23区内でも家賃水準がかなり低く、引っ越す前に家を探した時に「騒音問題有り」と書かれたチラシが入り口に堂々と貼られていたアパートがあった。「あの辺り、所得水準が高くないでしょうからね」とつぶやく。

「最近本屋に行った時に、新刊で平積みされている本があまりにも『天職』『自己実現』「引き寄せ』系書籍で驚きました」と元師匠に言うと、内田樹氏の『寝ながら学べる構造主義』を紹介してくれた。書籍では、「構造主義の四銃士」ということで、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンの4名を紹介している。ストレートに構造主義を解説するのではなく、様々な事例に共通するしくみを構造主義として理解してほしいという書籍の意図があるのか、まったく異なる事象から構造主義を読み解いていることがわかる。

フーコーは個人や物事が成り立つには歴史的な前後関係がかならずあり、その発生点はどこであったのかを探求した。同じ『歩く』という行為であっても、時代や場所により、今のように右手と左足を同時に出す行為を指すのか、明治時代以前のように右手と右足を同時に出すのかが変わる。これは時代的背景によるもので、個人が個人の力で変えることのできない認識である。バルトは言葉には構造があり、意味するものと意味されるもの、その組み合わせの共通認識さえあれば言語は成り立つという。それ故に、思考や経験の様式は言語に大きく依存するとも書かれている。レヴィ=ストロースはすべての親族関係は2ビットで表すことができるという。それと同様に社会構造が先に存在し、それに合わせて人々の感情のかたちや論理の文法を構成しているという。ラカンは精神分析を行なう上で、言葉は情報ではなく関係性を構築するためのものだと言い、人間関係の構造を先に作り上げた上でセッションを行なっていたそうだ。つまり構造主義とは、言語をはじめとした身近にあるあらかじめ定義されているものを人々は使い、それに合わせた形にある程度人は集約していくということなのだろう。

構造主義以前は全知全能と位置づけられていた神が身分や職業を決めていると考えられていたし、罪があれば赦すのも神だった。そのような時代が終わり、構造主義の考え方が根付いてくると、職業選択の自由が出てきた。選択の余地があるからこそ迷う人が出てきてそういった書籍も流行るのかもしれないが、生まれてきた場所や両親、ひいては遺伝子など、後天的にはどうにもならないような要素で職業やその後の人生がある程度は決まってしまうというのが職業選択における構造主義的な考え方であるということを元師匠は言いたかったようだ。確かに、日本では両親が離婚していたら就けない職業があるが、両親の離婚は生まれてきた段階でどうにもできない場合もあるだろう。

後日、アフィリエイトサイト系案件が増えてきたので、自分でも何か1つ作ってみようと思い立ち、お金に困っている人は沢山いるはずだとキャッシングというテーマで運営することに決める。いくつかのサイト運営を手伝っているうちに、表立っては言えないような露骨で根示的な人の欲求に近いものほど、アクセス解析を見ていて勉強になったからだ。たとえば、平均掲載順位が200位以下(検索結果の20ページ目くらいにURLが表示される)というような状態であっても訪れる人は何人もいたし、検索エンジンから訪れたキーワードの種類自体も、似たようなことを示す同じような言葉で何度も検索されていて、そのテーマに対する執着の深さがわかるのだ。アフィリエイトサイトに掲載するネタを探しに書店に行くと、消費者金融の実態について書かれている『下流喰い』という書籍を見つける。著者は足立区西新井近辺の出身らしく、目次を見ると『足立区の哀しみ』という項目が妙に目を引く。気になってページをめくると、足立区の地域特性で貧乏の再生産が起こりやすいと書かれていた。背景は色々とあるが、足立区に生まれただけで代々貧乏な生活を送る可能性が高いと言うことだろう。足立区にある団地から、主婦が消費者金融の無人貸出機に走っていくのをよく見かけるとある。

更に書籍は喜んでお金を借り続ける人もいることに言及する。『闇金ウシジマくん』というマンガで、コミュニケーションを取ってほしいからと5,000万円もの利息をただ払い続けている人もいる、という話があったことを思い出す。単純に事実や倫理・法律から考えたらあり得ないことだと思うが、需要があり、顧客が満足するのであれば商売として成立してしまうのだ。ある日、同業者と話をすると「急に呼び出されたと思ったら、お手紙を送りたいらしくて差し込み印刷を1日中手伝ったことがあるの。プリンターの前で1日張り付いているだけで、10万円。あれは楽な仕事だったわ」という話を聞く。差し込み印刷は、そこまで複雑な内容でなければ、30分程度で初期設定が済んでしまい、あとは印刷の間中、用紙切れがないかを見ているような仕事だ。「本当に、ああいうのでお金もらっていいのかなって、専門的にやっている人から見ると思うよね。コンピュータの世界って、もっと難しいことがたくさんあるし。まあ、そのおかげで食べていけるんだけどね」とその人は続けて言う。人には得手不得手も、知っていること知らないこともある。しかし需要と供給さえ満たすことができれば、どんなことも商売として成り立つのであると実感した。